愛媛の茅葺き民家


1960年頃都会では○○景気××景気などと賑わい始めてきましたが、地方の特に山間部にはまだ景気の豊かさは感じられませんでした。谷間の底から頂上近くまで人力で積み上げられた棚田、稲作の出来ない傾斜地は畑作に、少しでも耕作出来る土地は利用し、住いは崖を切り開いた狭い土地に住居、納屋、風呂、便所と横並びに斜面に張り付く様な暮らしが有りました。四国特に高知、愛媛の山は急峻で狭い谷間からいっきに上がった高地に住まいと畑が有るのが多く、人々の生活の苦労は大変な事だったと思われました。

  
ehime-1

金生町山田井    2009-7        

     平家の落人伝説の強く残る、隠し部屋、踏むと音の出る   上がり口などが在り、囲炉裏の煙を磨き込んだ漆塗りの様な真っ黒な梁、柱は圧巻である。

ehime-2

野村町窯田     1975-7       

   傾斜地の狭い土地を利用したこの地方で珍しい入母屋。

ehime-3

広見町横山     1975-7  

谷筋は何処も横一列。

ehime-4

東宇和郡野村町   1975-7    

    愛媛は他の3県より入母屋が多いと思いましたが、資料が少なく不明です。